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zoom RSS マイク・ネスミスの高校時代を追ってみた

<<   作成日時 : 2012/07/28 23:55   >>

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2012年7月28日(土)です。
今日はお休みと云うことで少しゆっくり起きます。朝食を摂ってから,体操をしていないことに気が付いたので,一休みしから体操です。

7:30にホテルを出ます。ダラス空港(のそばのレンタカー屋さん)に帰る練習です。カーナビがいろいろ指示してくれるのですが,道がややこし過ぎます。彼らにとっては常識なのでしょうが,こちらは判らないことが多すぎるのです。でもまぁなんとか9:17に着。9:40の飛行機なので,どうも前泊した方が良さそうです。

今度は Dallas Theater Center に向かいます。が,それらしい看板がありません。一家で水遊びをしているお兄さんがいたので,聞いてみると,反対側の建物だ,とのこと。ありがとうございました。


ここはマイク・ネスミス先生が15歳のころからいろいろと芸術関係を学んだとされているところですね。もちろんお休みだから中に入ることなんか出来ません。
この辺りは,芸術関係が集まっている様です。なんと云ってもダラス美術館がすぐ傍にあります。
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次は Thomas Jefferson High School に行きたいのですが,カーナビの設定が出来ません。ちょうどさっきのお兄さんが来たので,設定をしてもらいます。なるほど,そうするのか。重ね重ねありがとうございます。

トール・ウェイ(有料道路)を使うと簡単だよ,とのことでしたが,料金の支払い方が判らないから,フリー・ウェイに設定してもらったのですが,結局なぜかトール・ウェイを通ることになってしまいました。財布を用意しておいたのですが,料金所もなくもちろんお金は払いませんでした。

途中,路面電車を発見。
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そしてなんとか着きました。ここは,マイク・ネスミス先生が通った高校です。いろいろと悩んだり考えたりしていた様です。廻りは閑静な住宅地。おそらくマイク先生は母親の Bette さんとこの辺りに住んでいたのではないかしら。
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どうも良く判らないのは,マイク先生は1942年生まれ。
そして15歳の時に先のDTCに参加された。そして高校にも入学したはずです(日本と同じ教育制度のはず)。と云うことは1957年のはず。しかし,1960年には高校卒業前に空軍に入った,と云うことになっています。ここら辺りは,まぁ時差(?)を考えれば納得できます。

ところがベッテさんがリキッド・ペーパーを販売始めるのは1956年なのですね。そして,貧しいタイプライターである彼女のアイデア(1951年)を製品化するためには息子(マイク先生のことですね)の高校の化学教師(名前は書かれていません)の協力を得た,としているのですね。

1956年以前にマイク先生が高校入学するのはどうも不自然です。

と云うことで,ここからは私の邪推です。

 1.ベッテさんは1951年にリキッド・ペーパーを思いついて,自分用に使い始めた。
 2.たまたま,ベッテさんの絵のクラスには,例の高校の化学教師も参加していた。
 3.で化学教師はベッテさんに商品化を勧める。同時に成分の調整も行う。
 4.1956年にリキッド・ペーパーを発売。好評で大売れを博す。
 5.ベッテさんは大金持ちになったので,高校の近くの高級住宅街に居を移す。
 6.ベッテさんと化学教師はより親密になる。
 7.マイク先生は1957年に,化学教師のコネで例の高校に入学する。しかしどうも面白くない。
 8.で内省に入り詩を書き始める。同時にDTCにも参加して高校から逃げる。
 9.さらに逃げるために1960年に空軍に入る。
10.そして1962年にサン・アントニオ大学に入学する。
11.ベッテさんは1962年にロバート・グラハムさんと再婚する。
12.マイク先生は完全に逃げるために1963年にフィリスさんと結婚する。
13.1965年,モンキーズ。

どうも私は例の化学教師と云うのは,ロバート・グラハムさんの様に思えてなりません。そしてマイク先生がリキッド・ペーパーのことをひた隠ししていたのも,自分が金持ちの息子だと思われるのが嫌だと云うよりも,家庭環境によるものだったのではないでしょうか。
そしてなんと云ってもその悩みや葛藤から,あの素晴らしい詩や曲が生まれたのではないか,と考えてしまうのです。


今回,DTCと高校を訪れてみて,本当に嬉しかったのは「荒れた場所」ではなかったことです。




もう一箇所寄りたかったのですが,どうにも辿り着かないので断念。ダラスにいるのに,ダラスがないことになってしまいました。まぁ,マイク先生絡みではないので,もともとどうでも良かったのです。


なにしろ,こちらの道はほとんどが一方通行だから,後ろ側に行くためには,ぐるりと大回りをして来なくてはいけないのですね。そしてフリー・ウェイの横には,フリー・ウェイに乗るための道があって,それがフリー・ウェイの入り口と出口をぐるりと廻る様になっています。そしてそのフリー・ウェイの横の道から,細かい道(日本の幹線道路の大きさ)にやっと入れるのですね。

カーナビ頼りで走っていても,どの道がどうつながっているのか全然判らないので,面白くありません。
車にはオート・ドライヴ(アクセルを踏まないでも一定速度で走ってくれる装置)がついているのですが,道が混んでいるので,全く使えません。かなり疲れます。

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なんとか Waco まで辿り着くと,ガソリンが危ない。慌てて給油します。15.867ガロンで52.68$。
14時に間に合ったので,まだホテルのフロントが開いていました。インターネット代を確認すると,含まれている,とのこと。本当かな。

袋ラーメンで昼食にして,昼寝。幸せのひと時です。


16時過ぎに目が覚めたので,こんどは Waco の街巡り。カーナビの設定の仕方が判ったので,非常に簡単です。
まずは,マンモス・サイト。マンモスの化石とかがあるらしいです。16:55に着いたら,5時閉館で入れませんでした。
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続いて,ドクター・ペッパー博物館。もちろん閉まっています。こちらでは売れているのですね。私も好きではあるけれど。
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なんでも設備を拡張する様です。そんなに人が来るのかしら。他人ごとながら心配になってしまいます。


そして,Lone Star Music。ここも17時で仕舞いですが,外から覗いていたら,開けてくれました。ありがとう。
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そして,そのうちにお店のご主人と私でEブルースのセッションになってしまいました。もう一人のお客さん(?)も混ざってきて,延々と続きます。
フラット・マンドリンを買いました。Ventura と云うメーカーです。きっとあのヴェンチュラにあるのでしょうね。税込みで162.38$。
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そろそろお腹が空いてきたので,Texas Road House に向かいます。
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待合室では適当にピーナッツを掴んで食べます。もちらん殻はその辺に。
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Tボーン・ステーキ,23オンスにします。25.97$。
とりあえずこれだけ出てきます。
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そしてチリ。あぁビールが飲みたい。よく見ると,最初に出てきたのも,小さいけれど同じチリなのでした。
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そしてステーキとステーキ・フライ(フライド・ポテトのことですね)。
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断面はこんなです。なかなか良さそうです。
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しかし23オンスはきつい。骨の部分を差し引いて20オンスとして,560gくらい。でもホース・ラディッシュ(山葵みたいなもの)でいただきました。
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ホテルに帰ってからは水ばかり飲んでいます。消化するには水分が必要なのでしょう。自分でも判らずに消火栓の写真を撮っていたのは,そう云うことだったのですね。

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